2011/04/12

クマ再来

   ∩___∩
   |ノ ⌒  ⌒ヽ
  /  >    |
  |    ( _●_)  ミ
 彡、   |∪|  、` ̄ ̄ヽ
/ __  ヽノ   Y ̄)  |
(___)       Y_ノ
     \      |   <仲良し
      |  /\ \   仲良しッ
      | /    )  )
      ∪    (  \
            \_ノ

2011/04/08

だめだ

強い余震でしたね。
ニュースはいつも、最初は被害が少ないようにみえて、
どんどんけが人や火事の報告が出てくるのですよね。

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昨日、親は多賀城へ。
おじさんに家具職人がいて、昨日は親戚一同で、
作業場の復旧の手伝いに行ったのです。

木と機械の泥をかき出す。
木は、泥を落としたら、天日干しに。

これもだめだった、これもだめだ、と「だめだ」という報告が飛び交ってしまう状況で、
おじさんは、
「だめなんだけど、全部がだめなわけじゃない。
 何か方法はあるんだ」と言って、考えているらしいです。
おじさんは切れ者なので、頼もしいです。

「考えることをやめちゃいけない」と、Sさんが言っていた。
まったくそうですね!

2011/04/04

ごみ拾い


3月27日、マイコさんに誘われて、吉祥寺でごみ拾いをしました。
同い年の若者から、その兄、武蔵野市の公務員、カメラマンと、
色んな人が集まってひっそりとごみを拾いました。

そしてみんなでラーメン食べて、
夜はクーニャンの貸切パーティへ。
地震の日、地震以来混乱していること、自分がしていることをいっぱいききました。
家族と会って号泣した人、死んでも生徒を守るって思った人、一番に電車を走らせようとした電鉄の人、吉祥寺の飲食店に募金箱を設置してくださいと回って歩いた人など。

で、また変わらずごみ拾いしようって思って、続けているようです。
すばらしいと思いました。

2011/04/03

お買い物

Sさんと宮城ふるさとプラザに買い物に行きました。
お店のおじちゃんが、常連のお客さんに、
「全部流されちゃったんだよ~、ごめんねー」と言っていました。

震災後に営業再開して作った簡易包装のくるみゆべし、
3個で320円(おそらくの価格)。

写真は、毎日行っている築地のお弁当屋さん「BROWN BAGs」。
電気をつけずに営業中。
ここのオムハヤシがおいしいのよね。

テレビみていたら、MTH、初オリコン首位ということ!

地震の日に

新聞記事を扱っていて、いわずもがな地震があった11日の前か後かが大きな分岐点になりました。
11日前に書いた記事の中には使えないものが増えました。
商況、決算予想はもちろん。
(そんななか、私は去年の決算の記事を載せるという大きな事故をやらかし、しかし色々なことが重なっての事故なため、誰にも責められず、誰もがどうでもよさそうでした。
上司に改めて謝っても「超越しているから、いい」と言われました。
自分でも忘れてしまいそうなので、記録。)
11日に東京がゆれて避難した時は、東京でも揺れるんだなあと、呑気でした。
震源地が遠くで、それも宮城と知るまでは、同僚と避難した公園のブランコに乗ってみたり、写真をとってみたり笑っていました。
最近、少しずつ、被災地の人が11日の3時頃から数十時間、どのような経験をしたのか、多くの人がどのように死んでいったのかを知れるようになりました。

実家の地域(佐沼)では、飲食店に行く人もあまりいないし、日が暮れ外に出ている人もいないということです。
「それでは飲食店の商売が大変ではないか」
「みんな大変でも我慢している。志津川(南三陸町)の人のことを思うと」ということです。

今、実家には家を流されてしまった人7人暮らしているらしいです。
隣の飲み屋さんにも、家を失った家族がやってきたらしいです。
スーパーは店が陥没しているため、駐車場で売っていて、置いてあるかごの分しか買えないから、並ぶんだそうです。そんな時でも、志津川の人だって分かると、みんなで「よく来たごと~」と言って、優先的に買わせてあげるらしいです。

佐沼はどちらかというと都会的なもので
こんな人情的だとは思っていなかったから、聞いているとすごいじゃないか、と思います。

GWに、帰省する計画。休みとれるかしら

雑貨屋開店のため

3月20日、自分の引っ越しを済ませて巣鴨駅へ。
友人の友人が5月に開店する予定の雑貨屋づくりを見に行ってきました。
不器用なもんで、やすりがけをやらせていただきました。
後半は天井を白で塗りつぶしました(写真)。
格好が給食当番にみえるし、東北のおばあちゃんみたいになってきたって、笑いあいました。