2011/05/25

練習で

GW後、100キロウォークの練習と、上司の腹決めにまつわる様々なことで、
目まぐるしく過ぎた1週間でした。

100キロの練習では、同僚と都内を歩きました。
江東区、台東区、千代田区、港区、新宿区と歩きました。
その後、同僚と分かれて、B国にややなじみのある人と飲みました。忘れちゃいそうだけれど、覚えていたら、納涼会か忘年会にでも話します。

35キロ。5万歩を軽くこす程度。
疲れたという気はしないけれど、電車で意識なし。

木の写真は、六本木ミッドタウンの無印(屋外)にて。
杉だそうです。杉の特徴を説明してもらいました。
杉は年輪のところが赤っぽさがあるということです。
LOVEは、新宿西口。
LOVEがみたいと言ったら連れていってくれました。
穏やかな100キロ練習でした。

2011/05/14

会社員

元上司の「腹を決めました」メールの内容が分かりました。
全体像は不明。結果のみ。
会社と会社員について改めて考えさせられる出来事です。

内容はS姉さんからきいたのですが、
元上司が「_クツさんにはまだ黙っておいて」とわざわざ口止めをしていたというから、不思議でした。そして今日、「もう言っていいですよ。あ、僕から言ったほうがいいのかなぶつぶつ」と言っていたというから…8月に退職してからは一度も会っていないのに、まだ近くに感じてくれていることが嬉しかったです。

この事件が、S姉さんやティーノさんにどんな影響を及ぼすのか、分かりません。
S姉さんが「今回の地震でも非力だと感じたけど、こんな近くで起きていることなのに何もできなくて非力をまた痛感する」というようなことを言っていました。
自分もそう思います。

ミチコちゃんが結婚式でお父さんに「一つの会社を勤め上げることを尊敬する」という言葉を送っていたけれど、きっといつかこの上司も娘さんにそう言われるのかな。

2011/05/12

新人


今日から本社編集部には、新人(記者)の若めの男性が入りました。
私「(わたしとの)可能性は何%ですか」
上司「ない」
同僚「まだ分からないじゃないですか」
上司「感じのいい人なんだよ、残念だね」

来週だか来月にももう一人入るのです。
こちらは外国帰りで、TOICEの点数がなんだかすごくて、カメラマンもやっていたという人。数か月今の会社にいますから、どんなに優秀でも、
私「どうせ変人なんでしょうね」
上司「そうだよ」。

変わっている人たちだと思うのは、例えば地震がらみでは、
3月11日夜、津波で流された中学生がいると分かって東京ビッグサイトでけが人も出て、コンビナート火災が発生したと知って、無事ですかと最年少記者にメールしたら、「この地震のことはもう忘れましょう」と返ってきた時。
次の日、混乱の中、もうすぐ辞める記者をラーメンを食べ、公園を散歩して、夕日を見て、「いい日だね」と言われた時。
地震直後の週末に宮城支社の記者が社長命令(現地取材)を無視してトラックの荷台に乗って上京してきた、そして月曜日に「小田急が動いていないんで会社行けません」と言った、という話を聞いた時など。

2011/05/11

2・2


社長と定年後非常勤で勤務している元取締役Kさん、
女性記者とわたし、の4人で100キロ大会に向けて買い物。
待ち合わせ場所は、三菱商事建材。企業名のほうがみんな分かりやすいみたいです。
わたしは分かりませんでしたが。

5本指で、綿じゃない予備の靴下を購入。
これで靴ずれ対策はOKでしょうか。

一通りみて回り、飲んで帰りました。
楽しい会でした。これから、社長とどんな関係性になるのか不安なまま半年がすぎ、そのうち一年になるんでしょうが、今日のことを思い出せるといいなと思うくらい。

写真は、100キロ大会の第一回打ち合わせで待ちぼうけくらったときに見つけた本社の屋上からとった。

2011/05/10

ほぼ仕事

毎日更新って、
毎日だいたい職場だから、職場の出来事になってしまいますけど。

今日は次長が、わたしのため息の後に、
「ため息一つにつき、10円にしないか」と言いだして、
それを同僚が
「なんで自分の首を絞めるようなことを」と制して終わりました。
チャンチャン。

次長は、お話の最後に「チャンチャン」と言います。

今日は、週刊誌の記事の締め切りでした。
新聞のほかに週刊誌も出しているんですよ。
それの催促の係は、わたくしがやっております。
催促のさわやかさに定評があるのですきっと。
今日も全国の記者に電話をかけました。
宮城の輩には「あと8行です」と言われました。
8行って、だいたい20分くらいでした。

前の職場の上司Sさんからメールがきました。
「やっと腹が決まりました。」とありました。
何をする気でしょうね。気になります。

また0時を回ってしまいました。
明日は社長と本社の記者さんたちと100キロウォークで着るものを買いに行きます。
嫌われ者の社長とわたしだけ乗り気で、ほかは「そんな暇ねーよ」と思いつつ社長に従っているという感じのようです。

ホットライン

震災直後、本社と電話が通じないことが多くなったので、スカイプを導入してほしいとマイクを持って朝、本社に行きました。(駆け込んだって感じ)
次長に許可を得て、最年少の記者にセットアップを頼みました。
どちらにも抵抗を示されて、余計なことをしていますという意識で頭を下げてばかりでしたが、それを使う編集長ご本人が気にいって、結構使い勝手がよかったです。

真面目な編集長は、毎朝必ず「スタンバイしました。」とチャットの欄に書き込みます。
それをだいたい気付かず無視して、昼ごろ気付いて「おはようございます!」と返します。
わたしの部署には個人のPCがないので、共有のメール、共有の電話、共有のスカイプとなるのですが、スカイプはだいたい、わたししか触りません。
そして、編集長もわたしも、だいたい個人名をあげて回りくどい文句のようなものを言ったあとに、「メッセージを削除」します。
だいたいメッセージは削除されています。

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今日は同僚が脚を拳銃で撃たれました(写真)。
写真とるから痛がってみせてくださいと言ったら、すごく痛がっていました。

新聞は基本黒のインキですが、広告等で「色」を使えば、
「立ち会い」の時に色が洋服についてしまうこともあるということですね。
気をつけましょう。

2011/05/09

結婚式

日曜日、快晴。みちこちゃんの結婚式。
八芳園で神前式の結婚式。
美しかったです。
みんな楽しんでいました。あっという間で。
最後の手紙で、B国女子は涙を流し、新婦の父も涙を流し。
「みちこ本人は、凛々しいんだけどー」って横で泣きながら笑っていました。

B国の人々と会うのは久しぶりでした。
会ったらもっと色々おしゃべりしたいと思いました。
このbloggerももう少し更新せねばとも。

結婚式って、いいものですね。

今日はB国Tシャツを着てねます。

2011/05/04

みなみさんりく

今日は父と南三陸にいってきました。
父がよく現場(うちの父は土木関係の仕事も頼まれていて、道路の写真とったり図ったりしていて、今回もなんかやっているんでしょうね。知らない)で会う人が、交通整備やっていたので「おうおう」とやっている少しの間、建物や木々が散乱している場所を見ていました。

地震直後、宮城の友達が「近くの町が流された。怖くて眠れない」とメールをくれた感覚が、わかりました。
父は、多くの人が死んだことを一瞬で感じたらしく、それに驚いて言葉が出てこなかったようでした。家に帰って、ごはんを食べる直前に「驚いた」と吐き出して、また黙っていました。

つぶれた車が並んでいました。
からまった電線も集められていました。
毎日毎日人が頑張っていることが見て取れました。
ありがたいと思いました。

毎日すれ違う自衛隊の人たちのおかげなのかしら。

そして、帰省してから、
誰々の体が見つかった、誰々がこんなずるいことをして許せない、とかいう
会話を日常的に耳にして、やるせない気持ちになってばかりです。
生き残るって大変なことなのですね、と思います。
被災した人と被災者を受け入れ援助している人の毎日の生活の苦労が報われてほしい、と思います。

この震災を特別だと考えているわけではないんですが、
私にとっては、そうなっております。

2011/05/02

100キロへ

   ∩____∩
   | ノ ノ   \ヽ
   /  ●   ● |  
   ミ   ( _●_) ミ
  -(___.)─(__)─
100キロウォークの大会に出場することになりました。

昨日は、被災地フェアで安いので便乗して、ヘッドライトを買い求めました。
母も「ほしかったのよー」ともう一つ買おうとして、
レジの人に「地震来たときに、こんなのしている暇ないべさー」と止められていました。

今日はルミのうちで子供たちと遊んだあと、
ともちゃんとお菓子を食べながら将来について話しました。
宮城県沖地震がくるくるといっていて、結局まだきていない。きたら、あの川は氾濫して水はこっち側に流れるといわれていること。スーパーイオンセンターは天井が結構きていて、次大きな余震があったら落ちると思われること。など、不安要素を話してもらいました。

うちには、どっからかおじさん等がやってきて、相談や愚痴を言って帰っていきます。
みんなはっきりとは言わないけれど、
なんだか不安だし、小さなことがむかつく!ということ、
お金がない、お金がほしい!ということが伝わってくるんだけど、前からだっけか地震のせいかわからないけど。