2011/03/26

妻の超然

だが、どうしてこんなに新聞というものは読むと嫌な気分になるものだろうか。なぜこんなに不愉快になるのか。
それはきっと温度なのだ。
その不快感には、ぬるいみそ汁や、オーバーヒート寸前の車や、冷えていないビールと同じ、がっかりするような感触がある。     「作家の超然」

妻の超然妻の超然
(2010/09)
絲山 秋子
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読書の習慣、戻ってくるだろか。

今週は飲み会三昧だった。
店には人があまりいない。
金曜日にいったところなどは「今週一人も来なかったんだ」と言っていた。
さらに、仕入れを宮城からしていたようで、当分入ってこないとも言っていた。

木曜には、社長と(記者1名と)初めて飲んだ。
社長のきった領収書に名前があったらしい。次の日に総務部から、昨日社長と会ったのはあなたか、と確認の電話がきた。
社長は嫌われ者のレッテルがあるため、覚悟してかかったけれど、
「元気だしてよ」と言われて、優しい人じゃないかと簡単に思う。

彼女が去ると僕は猛烈に彼女と喋り足りないことを感じた。そんな飢えに似た気持ちを持つのは久しぶりのことだった。     「下戸の超然」

この「喋り足りない」という表現が気にいって機会を見つけて使っている。
社長飲み会の後、喋り足りないと記者がいってくれたから、スカイプの前で2時まで待ってみたが、かかってこなかった。
身体無事か一度不安になると気になってしまって眠れなかったわ。

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