2009/09/20

好むと好まざるとにかかわらず

何をきかれても、「太宰治だよ」と言ってしまう電話があった。

BOOK1、読み終わった。
「むらかみはるき」にQを探したが。
人と村上春樹について話すのは面白いけれど、読んでいて特に面白いわけではなく、こんなに時間がかかってしまった。最終的になんの話なんだろうか。
1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
(2009/05/29)
村上 春樹

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QはクエスチョンmarkのQだ。疑問を背負ったもの。
彼女は歩きながら考えた。
好もうが好むまいが、私は今この「1Q84年」に身をおいている。私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。


爪を見ていると、自分という存在がほんの束の間の、危ういものでしかないという思いが強くなった。爪のかたちひとつとっても、自分で決めたものではない。誰かが勝手に決めて、私はそれを黙って受領したに過ぎない。好むと好まざるとにかかわらず。いったい誰が私の爪のかたちをこんな風にしようと決めたのだろう。


好むと好まざるとにかかわらずの状況に誰もが身を置いているんだ、ということ。
それは、吉本ばなな『キッチン』の「満月」にもある。
キッチン (新潮文庫)キッチン (新潮文庫)
(2002/06)
吉本 ばなな

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 その後すぐに妻は死んで、パイナップルも枯れたわ。あたし、世話のしかたがわからなくて水をやりすぎたのね。パイナップルを庭のすみに押しやって、うまく口に出せないけれど、本当にわかったことがあったの。口にしたらすごく簡単よ。世界は別に私のためにあるわけじゃない。だから、いやなことがめぐってくる率は決して変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくした方がいい、って。……それで女になって、今はこの通りよ。
 その頃の私には、その言葉の意図はつかめたけれど、ぴんと来なくて“楽しさって、そういうことなのかな”と思ったのを覚えている。でも、今は、吐きそうなくらいわかる。なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ご飯を作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。


 人はみんな、道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ている、と言った方が近いかもしれない。私も、そうだった。しかし、今、知った。はっきりと言葉にして知ったのだ。決して運命論的な意味ではなくて、道はいつもきまっている。毎日の呼吸が、まなざしが、くり返す日々が自然と決めてしまうのだ。そして人によってはこうやって、気付くとまるで当然のように見知らぬ土地の屋根の水たまりの中で真冬に、カツ丼と共に夜空を見あげて寝ころがらざるを得なくなる。
 ――ああ、月がとてもきれい。

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